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国立ハンセン病資料館にて(企画展「生活のデザイン」と「ブリキの義足」ワークショップ)

2022 . 9 . 6

(写真1)古くから伝わるハンセン病患者が発明した「ブリキの義足」。今回の企画展のキー・オブジェクトとして最初に展示されていました。

「入園の初めにいたく驚きし ブリキの義肢を今吾の履く」陸奥保介(松丘保養園)


 8月14日、ハンセン病患者や義肢装具士がつくり、使用されてきた道具を集めた企画展「生活のデザイン ハンセン病療養所における自助具、義肢、補装具とその使い手たち」と、その関連イベントであるワークショップ「『ブリキの義足』をつくってみよう」に参加するべく、国立ハンセン病資料館を訪ねました。デザインは資本と大量生産をその手段としているため、マジョリティを前提とせざるを得ず、障害などを持つ社会的マイノリティに対しての解決策を提示できずにいることが多いように思います。今回の企画展では、そんな課題に向き合っている人々、例えば学芸員や義肢装具士が、どのような視点で道具のデザインを捉えているのか、そこに興味があったのです。


 まずハンセン病について。私がこの病気をはじめて知ったのは今から30年以上前、小学校での授業のときだったと記憶しています。そのとき担任の教諭からは「ハンセン病は感染する病気ではありません」と教えられました。小学生を相手にしていますので、教諭は誤解を生まないよう端的な表現を使ったのでしょう。正確には国立ハンセン病資料館のパンフレットに次のように記載してあります。


「ハンセン病はらい菌による経過の慢性な感染病です。感染しても発病するとは限らず、今では発病自体がまれです。また万が一発病しても、急激に症状が進むことはありません。<中略> 現在では有効な治療薬が開発され、早期発見と早期治療により後遺症を残さずに治るようになりました」(引用:国立ハンセン病資料館パンフレット「ハンセン病とは」より)


 国立ハンセン病資料館の常設展では、昔は「癩」(らい)と呼ばれていたこの感染症の歴史と実態が、残された資料や、患者および回復者の遺品などとともに丁寧に解説されていました。


 古代には「穢れ」が原因とされ、重篤な後遺症の印象もあって忌避されてきたこと。中世には「仏罰」として信仰の足りないものが患う病とされ、結果として患者は社会から疎外され、路上生活を余儀なくされたこと。近代には国が対策を進めるために「らい予防法」として法制化されましたが、その内容は患者の治療よりも、療養所への隔離を推進する内容だったこと。第二次世界大戦後には治療薬が開発され、病気は完治されたものの、その後も後遺症を持つ回復者たちは隔離され続け、生活のための労働を課され、子供を持つことも禁じられたこと。死後にその遺骨を遺族が差別や偏見を恐れて受け入れなかったことも多く、療養所内の納骨堂に納められたこと。ようやく1996年になって「らい予防法」が廃止され、2001年には「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」の原告側勝訴により、ハンセン病問題の早期解決が掲げられるようになります。


 企画展「生活のデザイン ハンセン病療養所における自助具、義肢、補装具とその使い手たち」では古い歴史ある義肢から、現在の新しい自助具まで、さまざまな異形の道具が、使い手であるハンセン病患者、回復者の写真や言葉と共に紹介されていきます。そこには患者、回復者、それぞれの困難があり、それに負けることなく自身で生きようとする者の姿が反映されています。道具を主役に据えることで、ハンセン病による不幸や痛みを過剰に煽ることなく、生活者として現実を生きる彼らに焦点を当てることに成功しているように感じられました。企画展のパンフレットには、患者、回復者の担った実践、つまり彼らの「道具」について次のような解説が記載されています。


「作業療法士や義肢装具士がそれらの道具を作るようになってからは、患者、回復者によって、さまざまな工夫が伝えられ、新たに多くの道具が作られるようになりました。使い手と作り手の対話を通じて、それぞれのニードに合わせた道具が生み出されるようになったのです。これは、かつての療養所の医療におけるパターナリズム(※)を内側から掘り崩してきたという点でも、重要な実践です。<中略> それぞれの道具の使い手が、自分らしい暮らしを叶えるために創造してきたものという意味では、作品や文化活動と同じくその人固有の表現であると言えます」(引用:「生活のデザイン ハンセン病療養所における自助具、義肢、補装具とその使い手たち」パンフレット「解説」6ページ)

            

※医師が患者の意思を顧みず、その患者の利益になるという判断から、その行動に介入すること。


 ワークショップ「『ブリキの義足』をつくってみよう」で、指導をしてくださった担当学芸員の吉國元さんは、療養所に古くから伝わる「ブリキの義足」が、そんなハンセン病における患者、回復者の苦難の歴史や、創意工夫、逞しさなどを象徴していることから、今回の企画を発案されたといいます。患者が手ずから描いて残した実際の製作図をもとに、簡易的な素材で試作をします。そこで驚かされるのは、この「ブリキの義足」が義肢として求められる基礎的な要件をきちんと満たしているということ。ブリキでつくられた傾斜のついた筒は、ふくらはぎ全体で体重を支えることができ、一点に体重がかかることを防ぎ、化膿の原因となる傷の発生を抑制するようになっています。また松の木で製作される足の甲の部分は、後に蹴り出すのに十分でありながら、横移動した際に躓かないよう、実際の足の甲の半分くらいの大きさに切り出されています。松の木は2つのパーツからなり、ホゾを切って綺麗に繋げてあります。療養所にはもと宮大工だった患者もいたそうですから、こんな木工技術も受け継がれていたのでしょう。人はどんなに過酷な環境にあろうと、生きることを諦めない限り、創造的でありつづける。そんなことを「ブリキの義足」は教えてくれます。

(写真2)ワークショップでは「ブリキの義足」の試作を体験しました。松の木はスタイルフォームで、ブリキはアルミ色の厚紙で、より簡易的で加工のしやすい素材に置き換えて、その構造を理解する趣向になっています。

(写真3)ワークショップの指導をしてくださった担当学芸員の吉國元さん。「ブリキの義足」を前に、歴史的経緯やハンセン病患者の苦難の歴史を解説してくださいました。

 ワークショップの後、学芸員のみなさんを質問攻めにして困らせていたところ、国立療養所多磨全生園義肢装具士、後藤直生さんが様子を見にこられ、私の求めに快く応じてくださいました。そこで現場のお話を伺ったので、一問一答形式でお伝えしたいと思います。(以下、敬称略)

(写真4)企画展のバナーの前にて、国立療養所多磨全生園義肢装具士、後藤直生さん(右)と筆者。現場での貴重なお話をお聞かせくださいました。

筆者

 造作を一歩間違えば患者さんの傷が悪化しかねないという状況で、道具を提案するということに対して、大きなプレッシャーがあるかと思いますが、どのように対処されているのでしょうか

 義肢や自助具などは、医師と患者、そして義肢装具士の3者で話し合い、医師の指導のもと共同で製作されます。ですから傷が悪化するということはまずありません。患者さんにも納得して使ってもらっています。

後藤

筆者

 義肢装具士としてのお仕事を通じて、どんな時に喜び、または困難を感じますか?

 やっぱり患者さんが道具を使ってくださっているところを見ると一番嬉しいです。逆に一旦「ありがとう」と受け取ってくださっても、次にお邪魔した時に棚の上に放置されていたりすると、ああ駄目だったのか、と落ち込みますね。

後藤

筆者

 患者さんと寄り添っていくうえで、傾聴する際に留意されていることはありますか?

 私たちのやるべきことは常に現場、つまり患者さんの生活にありますので、何があろうと患者さんの声を全て受け止めることを大切にしています。例えば先日も患者さんから叱られてしまいまして(笑)私はいつも通りやっているつもりなのですが、患者さんは「お前は変わった。以前はもっとやってくれていたではないか」とおっしゃる。そういうときは初心に帰って、もう一度患者さんと向き合うようにしています。

後藤

筆者

 資本と大量生産を前提としたデザインが出来ていない部分、ある意味での『デザインの限界』を義肢装具士の方々が埋めてくださっていることに頭が下がります。

 私はデザイナーの方々のやってくださっていることにも大きな意味があると思います。我々がやっている仕事は主に一般に流通している道具を患者さん一人ひとりに合うように工夫することが多いのです。ですから両方の創造があって、はじめて患者さんに道具を届けることができる。そういうふうに思っています。資本の面で言えば、全国のハンセン病療養所では、全て無償で道具を患者さんに提供できる。民間ではこうはいきません。患者さんに「高価い!」と言われてしまう。私が多磨全生園にきたのもこの部分が大きな理由です。

後藤

 当然のことながらデザインにも限界があります。企画展の展示においても「ユニバーサル・デザインとは対極的な考え方で作られている」という表現がありました。その通りだと思います。大切なのは生活者にあくまで向き合うこと。人間はどんな過酷な状況に置かれても、創造的であるということ。そしてハンセン病についての未解決な問題は現在も残っており、学芸員や義肢装具士といった皆さんが問題に真摯に取り組まれていること。今回の展示とワークショップからはこれら多くのことを学ぶ機会を得ると同時に、たくさんの方々との出会いを得ました。そして何よりも大切なのは「正確に事実を知り、理解することが、患者、回復者を苦しめてきた差別や偏見を正す第一歩であり、全てである」ということでしょう。


 冒頭に引用したハンセン病患者、陸奥保介さんの和歌は「ブリキの義足」と一緒に展示されていたものです。彼の言葉と「ブリキの義足」が全てを語ってくれています。今回の企画展とワークショップを企画してくださった学芸員、西浦直子さんと吉國元さんに改めて感謝申し上げます。



倉岡 真樹|デザイン・リサーチ・ディレクター

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