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2022年5月・福島の今を見聞きする(前半)

2022 . 5 . 18

 連休が取りやすかった2022年のGW、3泊4日で福島県を回った。基本的にはバイクでの気楽なツーリングだが、復興の現在地を少しでも感じたいという目的もあった。というのも2011年に会津若松市、2015年に飯舘村を訪問したものの、GKとしても個人としても結局何もできなかったという後ろめたさがあるからだ(もちろんそう考えること自体ひどく傲慢なことだが)。会津若松に関してはまた別件でプロジェクト化しようと動いているが、まだみなさんに報告できるほどのことは起こっていない。そんななか飯舘村を訪れた時「忘れられていく/風化していくのが怖い」という言葉を聞いたのを思いだし、この福島旅行を実行してみた。

  まずは常磐道からいわき市に入り「新復興論(小松理虔・2018年)」でも語られている国道6号から豊間防災緑地へ。ここは津波災害を受けた地区に「多重防御」をコンセプトのもと作られた防災公園だが、植林された松の頼りなさに人知ではどうしようもない時間の重みを感じた。つまりあと50年くらいしないとこの松林は十全に機能しないのだ。しかし未来に向かって私たちはその時に出来る備えをしなければならない。

 国道6号沿いの市町村、特には楢葉町より北は震災だけでなく原子力発電事故の被害を受けており、多くの自治体がその実体を維持できなくなった。未だに帰還困難区域は厳然として残り、国道6号にも徒歩や自転車での通行が禁止されている箇所がある。帰宅困難区域への一時立ち入りについても、区域を出る際に放射能汚染されていないかスクリーニング検査が必要のようだ。あくまで道中の風景を見ただけの印象だが、帰還に向けて準備が進んでいる地域でもまだ町づくりにまで至っていない箇所が多いように感じられた。

 その一方、多くの市町村で被災記録のアーカイブや鎮魂を目的とした施設が作られている。今回の旅行では駆け足ながら下記の施設に立寄った。


いわき震災伝承みらい館(いわき市)

東日本大震災・原子力災害伝承館(双葉町)

震災遺構 浪江町立請戸小学校(浪江町)

相馬市伝承鎮魂祈念館(相馬市)


 このなかで規模が一番大きいのが「東日本大震災・原子力災害伝承館」。施設のある地域周辺は避難指示が解除されているようだが、双葉町のそれ以外の地域は帰還困難区域に指定されたままだ。伝承館では原発が肯定的に捉えられていた時代・震災発生時・原発事故発生時・その後の困難と復興・未来への計画などが分かりやすく展示されており展示物も充実している。その一方で国がらみの施設ということで、特に原発災害に対する国や東京電力の不手際に関する言及が少ないとの批判も出たようだ。

 ところでこれは震災/災害の話とはズレるが、展示の質が高いというのはデザインの力によるところも大きいのだが、複雑な要素が絡み合うトピックをわかりやすく伝えるあまり、渾沌がキレイに刈り込まれた物語に変換されることも大いにありうる。そしてそれが唯一の正史として残ってしまう危険性について、デザインに携わるものはいかなる矜恃を持つべきか考えてしまった。

 また展示の最後(復興・未来への計画)では、福島イノベーションコースト構想が紹介されていた。復旧が現実的なシナリオでない以上、復興とは新しい何かを定着させていくことになるのは必然とはいうものの、その土地を「故郷/My Home Town」と呼べるだけの情緒的で根源的なつながりをどう構築するかという難しい問いは依然として残る。

  請戸小学校は福島県で唯一の震災遺構。更地になり雑草が生える海岸線の土地にポツンと残されている。こちらは津波の被害をそのまま残しており、"デザイン"の介在する余地が少ない事実としての風景が訪れる人の心を刺す。幸いにもこちらの小学校では被害者が出ることなく全員無事に避難できたということだが、浪江町での学校生活が不可能になったことに変わりはない。時を経て新たに浪江町立なみえ創成小学校・中学校が創設されたようだが、ホームページを見る限り生徒数はまだかなり少ないようだ。


 このように旅行者目線からは復興が順調に進んでいるようには見えないなか、浪江町は昨年9月に、隈研吾建築都市設計事務所・伊東順二事務所・住友商事と「デザインの力による浪江町の復興まちづくりに関する連携協定」を締結したことを発表した。未来はどうなるか分からない。ただ今後町民の帰還とまちづくりがどう進むのか、意識的に情報に触れ少なくとも考え続けることは忘れまいと思った。


 (後半に続く)


 柴田 厳朗 | デザイン・ストラテジスト

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