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テロルへの反応(祈り、そして残響のもたらすもの)

2022 . 7 . 13

(写真注)2016年5月、ロシア、サンクトペテルブルク工科大学構内にて。写真中央にサンクトペテルブルク工科大学デザイン学部長 イワノフ教授。その他、右から順に、GKデザイングループ社長 田中一雄、筆者、GKデザイン総研広島社長 彌中敏和。左には露英通訳をしてくれたデザイン学部の学生諸氏。

「文字通り歌うことができなくても、音楽はまだ歌です。それは哲学ではなく、世界観でもありません。それは何よりも、世界が歌う聖歌であり、人生の音楽的証言です」(ヴァレンティン・シルヴェストロフ)


 ロシア、サンクトペテルブルクへ赴いたのは6年ほど前だったろうか。サンクトペテルブルク工科大学のデザイン学部の教授陣や学生達と交流し、ロシアで最も西洋に開かれた都市の景観や文化に触れた。ホストである教授から「休日にどこか行きたいところはあるか」と尋ねられたので、「ロシアの音楽が聴きたい」と我儘を言った。さすがにロシア歌劇の殿堂、マリインスキー劇場のチケットは今から予約は無理だということで、その時は観光客向けの民族音楽ショーを観覧させてもらった。武満徹の混成合唱曲に「バラライカは三角だぜ」という歌詞があるが、私はその形状よりも独特なくぐもった音色に心を奪われた。北はバルト海沿岸から、南は黒海沿岸まで、広大なロシア各地の民謡は、地域によって少しずつ異なる。中欧から東欧、ウクライナ、そしてロシアにまたがるスラヴ系の西洋文化に根ざしたリズムの舞曲が奏されたかと思えば、ロシアの「母なる川」と称されるヴォルガ川流域の民謡には5音音階や全音音階が使われ、西洋よりも東洋の響きが感じられたのを今でも憶えている。アジア系タタール人による古代国家ヴォルガ・ブガール、ロシアの起源とされるスラヴ系民族によって建国された中世のキエフ大公国、それらと混血していったフィン族やノルマン人たち。そこで私は多種多様な人々の歴史が交錯した多極的国家ロシアの文化を、音楽を通じて垣間見た。


 このような事情を日本に住む我々が理解するのは容易ではない。著名なドイツの歴史家で、ロシア、ウクライナ、東欧についての著作が多数あるカール・シュレーゲルが、2019年11月6日、ウクライナの国営通信社である「ウクルインフォルム」のインタビューにおいて、ウクライナの国家観について尋ねられ、それに西洋の視点から答えている。これがサンクトペテルブルクをはじめとするロシアと、その周辺国家における複雑な文化観を端的に理解するのに資すると思われる。彼は「私は今でも、ウクライナとは何か、ウクライナ人とは何か、ということについて、ドイツに確立された概念が存在するとは思っていません」と断ったうえで、「私にとってウクライナとは、全く異なる文化的地域、文化的階層を抱く、多極的国家です。私は現代的民族国家であるウクライナが、自らの全ての様々な層、地域をどのように統合するのかに大きな関心があります」と彼自身の見解を述べている。この地域は歴史家からみても断言するのが難しいほどに、複雑な歴史的経緯を持ち、多様な民族が入り乱れている。


 このような大地のひとつ、ウクライナには、現代を代表する現代音楽作曲家のひとりがいる。ヴァレンティン・シルヴェストロフ。彼は1937年にソビエト連邦(現ウクライナ)のキエフで生まれ、キエフ・イブニング・ミュージック・スクールでピアノを学び、チャイコフスキー音楽院で作曲法、和声法、対位法などを学んだ。彼による初期の極めて実験的な現代音楽は、ソビエト連邦政府の批判の対象となり、西側への亡命を余儀なくされるが、それから次第に彼の音楽は「比喩としての音楽」または「メタ・ミュージック」と後に呼ばれるような、音楽以前のものへと回帰していく。それは現代音楽の新しい技法を駆使しながらも、極めて音数の限られた禁欲的な楽音と、その残響によって構成されていく。彼は自分の作品を「現代音楽」ではなく「ロマン派音楽」であると答え、「クラシック音楽における残響」「音楽史のコーダ」と見做されることを望むという。そして彼はまた次のように宣言するのだ。

 

「私の音楽は、すでに存在するものへの反応であり、その反響です」

 

 このような彼の作品と言葉は、ともすると虚無、もしくは沈黙への回帰を連想させるが、彼の音楽の持つ Postludial domain (直訳すると後奏曲的領域、「残響の音楽」とでも訳そうか)が如何に豊穣な音響空間と創造的可能性を秘めているかを、彼は作品で証明していった。最愛の妻ラリッサを失った後、彼の音楽はさらに「祈り」の様相を帯びるようになる。2005年に発表されたピアノのための独奏曲「BAGATELLEN」などは、もしそれをひとたび聴いたのなら、たとえそれが文豪であったとしても、言葉にするのを躊躇うだろう。


 2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻を受けて、シルヴェストロフはキエフからドイツに避難し、ドイツの国営放送局 Deutsche Welle のインタビューに答えて、自身の立場を表明している。彼はロシア大統領を厳しく批判しつつも、決してロシアの文化を非難せず、むしろ、ロシアとウクライナの音楽を西洋文化の一部であるとしている。彼の芸術的態度とその作品である音楽は、まさにロシアとウクライナの文化を土台とし、西洋を含む多種多様な民族と文化を反映した結果、その反響や残響として創造されたものだからだ。そのうえで彼は自身の音楽を「全体主義と暴力(テロル)への反応」(注1)とみなしている。


 ドイツの哲学者ハンナ・アレントの主著「全体主義の起源」によれば、「全体主義」とはひとつの運動であるという。それは我々が複雑で多層的で理解しがたい世界を前にしたとき、安易にそれらを敵と味方に分割し、自分とって分かりやすい「世界観」に取り込まれることによって行われる。その巨大な運動は、最終的には「テロル」によって人間の個性や創造性をも破壊してしまうところまで行き着く。それらを前にして個人は「反応」はできても「抵抗」はできない。「人間の『経験』、記憶と思考そのものを破壊してしまうところに全体主義の異常な特質と犯罪性があった」(「精読 アレント『全体主義の起源』」牧野雅彦著 講談社選書メチエ P213-214)。それでは「全体主義と暴力(テロル)」に対して、シルヴェストロフのいう「反応」とは一体何だろうか。


 それは「祈り」だ。彼の楽曲には Postlude(後奏曲)と並んで、Prayer(祈り)Litany(連祷)といった題名が多く付されていることからもそれが伺える。「祈り」とは一般的に思われているほど受動的な行為ではない。人間の内なるものを源泉とする行為であり、自身が何者であるのか、何を望むのか、それを内省することや表現することは創造性の源でもある。内なる無意識に向き合うことは、身体と向き合うことであり、意識にとって身体は世界の一部であるという意味において、それは世界に向き合うことでもある。「祈り」とは自身に放たれた「問い」であると同時に、世界へと放たれる「問い」なのだ。シルヴェストロフの音楽は、彼自身の言葉にあるとおり「世界が歌う聖歌(祈り)であり、人生の音楽的証言」となりえている。楽音それ自体は、演奏者、つまり人為によって発せられるが、それがひとたび空間に放たれれば、空気の振動となって世界と同化していく。その残響を演奏家は制御できない。シルヴェストロフの音楽が、休符の多様と多用に支えられているのは、世界に残された制御できない響き、つまり人為と世界の狭間で奏でられる音風景に焦点があるからだ。それは人間ひとりの記憶と思考、つまり「経験」が生み出した「祈り」であり、安易な「全体主義」に対する静謐な「反応」たりえている。シルヴェストロフが「抵抗」ではなく「反応」と答えているところに、彼の音楽の本質がある。彼の音楽は世界に向けられた「問い」であり、それが響く大地は、ロシアとウクライナ、そして西洋を含む全世界が、歴史家のいう「特別な文化と伝統を有する具体的な国家」として共存する地平にこそある。彼の代表作「交響曲第五番」には、それが最もよくあらわれている。


「文字通り歌うことができなくても、音楽はまだ歌です」


 シルヴェストロフのこの言葉に救われる想いがするのは、私だけだろうか。いまロシアとウクライナで起こっている出来事と「祈り」そしてそこから生み出される「音楽」を前にして、デザインのことをあらためて考えている自分がいる。「テロル」は戦争や紛争がもたらす大きなものだけではない。障碍や貧困など、社会的な困難に直面している人々にとっては、社会のなかに存在するものだ。「全体主義」や「テロル」の萌芽は、私自身のなかにも常に眠っている。安易な敵味方の断定とそれが生み出す「世界観」は、いともたやすく私を飲み込むだろう。私はそれに抗うための「祈り」を持っているだろうか。そのとき、私は隣人に投げかけるための、優しい「問い」を持っているだろうか。私は世界に向き合うための、普遍的な「問い」を持ちえるのだろうか。デザインが「正しく問うこと」を標榜するのならば、デザインが発することのできる「反応」や、その結果としての「残響」とはいったいどんな風景なのだろうか。


 最後に、ロシアとウクライナ、そしてその土地の音楽を愛する、私が敬愛してやまない戦火のなかの人々へ。どうか一刻もはやく、平穏な日々が戻ってくることを祈っている。



倉岡 真樹|デザイン・リサーチ・ディレクター

 


注1)テロル【Terror】独語:不安や恐怖のこと。または集団暴力などの行為、あるいはその脅威によって、敵対者を威嚇すること。狭義の意味では、独裁政権などにおける恐怖政治のことをいう。現代では「テロ」「テロリズム」として広く知られるようになった。また当事者にとっては、その大きさの如何に関わらず、しばしば不安や恐怖の原因は社会的前提として、つまり「当たり前のこと」として社会のなかに存在している。ハンナ・アレントによれば、この内的かつ巨大な力に対抗できるものは「何か新しいことを始めるという人間の偉大な能力の他にない」(「全体主義の起源3 全体主義」ハンナ・アレント著 大久保和郎・大島かおり訳 みすず書房 P291-292)という。

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